玄関に置いたままの旅行かばんと、洗濯機の前に積まれたタオル。帰省から戻った夜は、二人ともなんとなく口数が少なくなります。楽しくなかったわけではないのに、体のどこかに張りが残っている。次はいつ帰るか、何泊するか、その相談はまた先延ばしのまま、明日からの日常が始まっていきます。実家との付き合い方は、どちらかの家のやり方に寄せるしかないのでしょうか。
この記事でいっしょに考えること
- 帰省から戻った夜に、なぜ二人とも少し静かになるのか
- 実家との付き合い方は、どちらの家の「当たり前」に合わせればいいのか
- 帰省の回数や過ごし方を、二人で決めるにはどこから話し始めるか
- 実家の話をするときに、二人がぶつかりやすい落とし穴はどこか
なぜ、帰省から戻った夜は静かになるのか
「今年もありがとうございました」と玄関先で頭を下げて、車に乗り込みます。
高速に乗るころには、二人とも少し無口になっています。
家に着いて、旅行かばんを廊下に置いたまま、どちらからともなくソファに腰を下ろす。
洗濯機を回そうとして、お土産の袋がまだ玄関に置きっぱなしなことに気づきます。
片づけは明日でいい、と二人とも思っているのに、どちらも先に「疲れたね」とは言い出しません。
楽しくなかったわけではありません。よくしてもらったし、笑った時間もありました。
それでも、体のどこかに、うまく抜けない張りが残っています。
帰省のあとに二人が静かになるのは、移動の疲れだけではなく、数日のあいだそれぞれが「育った家の自分」に戻り、その差を持ったまま二人の家に帰ってくるからです。
実家にいる数日、片方は息子や娘の顔になります。
台所の使い方も、テレビの音量も、食事の時間も、その家のやり方があって、体が勝手に思い出します。
もう片方はその横で、お客さんとして、その家のやり方に静かに合わせています。
どちらが大変だったという話ではありません。ただ、二人は同じ数日を、まったく違う立場で過ごしています。
だから帰り道で「どうだった?」と聞かれても、答えが少し詰まります。
「よかったよ」から先を言うと、相手の家族の話になってしまいそうで、言葉を選んでいるうちに、静けさのほうが先に来る。
その静けさは、二人の仲が薄くなった印ではありません。
お互いに気を使った数日の、まだほどけていない部分です。
翌朝になれば、二人ともいつもどおりに動き出します。
ただ、この張りは荷ほどきと一緒に消えるわけではなく、次の帰省の話が出るまで小さく残ります。

実家との付き合い方は、どちらの当たり前に合わせるのか
翌年も、そのまた翌年も、この話は同じ形でやってきます。
「お盆はどうする?」「年末は?」
そして多くの場合、答えは去年と同じになります。
去年がそうだったから、今年もそうする。理由を確かめないまま、回数と過ごし方だけが静かに引き継がれていきます。
自分が生まれ育った家族のことを、家族心理の分野では原家族(げんかぞく)と呼びます。
私たちは、原家族のやり方を「普通」として身につけたまま、二人の家をつくり始めます。
年に何回帰るのが普通か。何泊するのが普通か。お土産にどのくらい使うのが普通か。行事のとき、どこまで顔を出すのが普通か。
どれも家ごとに違うのに、育った側にとっては空気のようなものなので、わざわざ言葉にされません。
連絡の頻度も同じです。毎週のように電話をする家もあれば、用があるときだけの家もあります。
どちらの家で育ったかによって、「連絡が少ない」という言葉の意味そのものが変わります。
実家との付き合い方に共通の正解はなく、どちらかの原家族のやり方に片方が合わせ続けるより、二人の家としての形をあらためて決めるほうが、長く続きます。
ここでいう「決める」は、どちらの家が正しいかを決めることではありません。
二人の家では、これからどうするか。決めるのはそれだけです。
回数も日数も、そのときの二人の状況で変わっていいものです。
仕事の忙しさも、体力も、家計も、去年とは違うかもしれません。
去年と同じにする理由がなければ、変えてもいい。相談を一度もしないまま毎年が過ぎることのほうが、静かな引っかかりとして残ります。
どこから話し始めればいいのか
とはいえ、これは切り出しにくい話でもあります。
「今年は帰らなくてもいいかな」と口にした瞬間、相手の家族を軽く見たように聞こえてしまうかもしれない。
そう思うと、たいてい言わないまま次の帰省が来ます。
実家がある側にとっても、切り出しにくいことがあります。
「毎年帰るのが当たり前」だと思われていないか気にしているのは、案外そちら側かもしれません。
実家の話は「次はいつ帰るか」から入るとぶつかりやすく、「お互いの家で大事にされていたことは何か」を先に並べるほうが、静かに進みます。
順番を変えるだけで、話の温度がずいぶん変わります。
1 つ目に、それぞれの家で大事にされていたことを、1 つずつ言葉にします。
「うちは、正月に全員そろうことが大事だった」「うちは、行事より普段の電話のほうが多かった」。
良い悪いを付けずに、事実として並べるだけにしておきます。
2 つ目に、そのうち二人の家でも続けたいものを、それぞれ 1 つだけ選びます。
全部を引き継ぐ必要はありません。1 つ選ぶと、残りは「大事ではない」ではなく「今はしない」に変わります。
3 つ目に、次の 1 年ぶんの形だけを決めます。
先の長い約束にすると重くなるので、次の 1 年で試して、また話し直す前提にしておきます。
この話は、帰省の直前や直後の疲れた夜より、なんでもない休みの午後のほうが向いています。
予定を詰める会議ではなく、お互いの育ちを知る時間として開くと、相手の実家の風景が少しだけ見えてきます。

話すときに気をつけたいことは何か
この話には、つまずきやすい場所がいくつかあります。
落とし穴は、実家の話が相手の家族への採点になった瞬間に、二人の相談が二人の対立に変わることです。
1 つ目は、家そのものを評価してしまうこと。
「あの家は距離が近すぎる」と言われると、相手は家族と自分の両方をかばう立場になります。
主語を家ではなく自分に置いて、「あの日、自分は少し気を張っていた」と話すほうが、そのまま届きます。
2 つ目は、片方がいつも譲る形で決着すること。
その場は丸く収まりますが、譲った側は毎年その分を静かに払い続けます。
譲るなら、譲ったことを二人が知っている状態にしておきます。黙って飲み込むと、数年後にまったく別の話の形で出てきます。
譲ること自体は悪いことではありません。今年はこちらの都合を通してもらう、という年があっていい。
決めた側と譲った側が、そのことを同じように覚えているかどうかだけが、あとになって効いてきます。
3 つ目は、その場の勢いで、この先何年ぶんも決めてしまうこと。
親の年齢も、二人の生活も変わります。次の 1 年ぶんだけ決めて、また開き直すほうが無理がありません。
「これからはずっとこうしよう」と決めてしまうと、事情が変わったときに、変えること自体が新しい相談になります。
いつでも見直していい前提にしておくほうが、そのときどきの二人の事情を、そのまま持ち込めます。
そして、もう 1 つ。
帰省のあいだ、気を張っていたのはたぶん二人ともです。
「昨日、ずっと気を使ってくれてありがとう」と、その夜のうちに一言戻すだけで、残っていた張りは少しほどけます。
この一言は、言いそびれると翌日には言いにくくなって、たいていそのまま流れていきます。
まとめ
帰省から戻った夜の静けさは、二人の仲の問題ではなく、同じ数日を別々の立場で過ごした名残です。
実家との付き合い方に共通の正解はありません。どちらかの家のやり方をそのまま引き継ぐより、二人の家としての形を、次の 1 年ぶんだけ決めるほうが続きます。
話す順番は、予定からではなく、お互いの家で大事にされていたことから。
そして、気を張っていた相手に、その夜のうちに一言だけ。
