九月に入って、棚の奥から非常用の水の箱を出しました。賞味期限のシールを見ながら、どちらからともなく入れ替えの相談をします。そのとき片方が「これ、もしものときはどっちが持つんだろうね」と言いかけて、途中でやめました。縁起でもない気がしたのです。備えの話は二人でしておいたほうがいい、と分かってはいます。分かってはいるのに、この話だけはいつも途中で止まります。
この記事でいっしょに考えること
- なぜ「もしも」の話は、二人の間でいつも途中で止まるのか
- 話さないでおくことは、相手へのやさしさなのか
- どこから話しはじめれば、重くならずにすむのか
- 「もしも」を話しておくと、普段の暮らしに何が残るのか
なぜ「もしも」の話は、いつも途中で止まるのか
水の箱を床に置いて、二人でラベルを覗き込んでいます。
期限は来月まで。買い直すならどこで、何本にするか。そこまでは、すんなり決まります。
止まるのは、その次の一言です。
「もしものときは、どっちがこれを持つんだろうね」。
言いかけた側は、たいてい途中で笑って引っ込めます。相手の顔が少し曇るのが見えたからです。
「まあ、そんなことにはならないよね」。
そう言って、話は水の値段のほうへ戻ります。
「もしも」の話が二人の間で途中で止まる大きな理由は、関心が薄いからではなく、口にした瞬間にそれが近づく気がして、相手を怖がらせたくないと感じるからです。
だから話題は、いつも同じところで折り返します。
水は買う。ライトも足す。持ち出し袋の中身は、それぞれが自分の分を勝手に詰める。
物の話までは、二人ともむしろ前向きです。買い足すものが決まると、少し安心もします。
けれど、その物を持って二人がどう動くのかは、決まらないままになります。
これは災害の備えに限った話ではありません。
保険の見直し、片方の親の介護、この先の働き方。どれも「いつか話さないとね」で終わったまま、何度も同じ場所に戻ってきます。
そして翌朝には、いつもの暮らしが戻ってきます。
保留にしたことすら忘れて、また次の入れ替えの季節が来ます。
避けているという自覚もないまま、何年も同じ場所で止まっている。この話には、そういう静かな性質があります。
そして厄介なことに、この止まり方は、二人の仲が悪いときには起きません。
相手を大事に思っているほど、この話は途中で止まります。

話さないでおくことは、やさしさなのでしょうか
言いかけてやめたとき、その人は相手を守ろうとしています。
不安にさせたくない。夜の台所を、重い空気にしたくない。
その気持ちには、たしかな温度があります。
心の動きとしては、回避(かいひ:不安になる話題を先送りして、その場の落ち着きを保とうとする働き)に近いものです。
回避そのものは、悪い癖ではありません。日々を穏やかに保つために、誰もが少しずつ使っています。
ただ、この話題に限っては、1 つだけ引っかかりが残ります。
「もしも」を話さずにおくのは、たいてい相手を思うやさしさから始まりますが、その結果として、いざというときに一人で判断を背負うのも、その相手になります。
連絡がつかない数時間、どこへ向かえばいいのか。実家にはどう知らせるのか。
そのとき二人の間にあるのは、それぞれが別々に想像していた段取りだけです。
片方は「家で待っている」と思い、もう片方は「迎えに行く」と思っている。どちらも相手のことを考えているのに、動きはすれ違います。
同じ家に住んでいても、頭の中の地図は共有されていません。
やさしさで黙っていたことが、いちばん心細い時間に、相手を一人にしてしまうことがあります。
もう 1 つ、静かに効いてくることがあります。
「もしも」を話題にできない関係では、それ以外の重い話も、だんだん出しにくくなります。
体の不調、仕事の迷い、お金の不安。どれも「言ったら心配させる」という同じ理由で、口の手前で止まるようになります。
避けているのは災害の話だけのつもりでも、避け方そのものが、二人の癖になっていきます。
もちろん、話しておけばすべてが滑らかに進むわけではありません。
想定していないことのほうが、たいてい多く起こります。
それでも、二人が同じ地図を一度でも一緒に見たことがあるかどうかは、あとから効いてきます。
どこから話せば、重くならずにすむのか
この話が重くなるのは、たいてい入り口のせいです。
最悪の場面から想像しはじめると、話は数分で息が詰まります。
「もしも」の話が重くならないのは、最悪の想定から入らず、普段の暮らしの確認から入ったときです。
たとえば、次の 3 つはどれも、暮らしの確認として話せます。
1 つ目は、連絡が取れないとき、どこで落ち合うことにするか。駅なのか、家なのか、それとも近くの学校なのか。
2 つ目は、それぞれの家族に、どちらが、どうやって知らせるか。相手の親の番号を、自分は持っているでしょうか。
3 つ目は、大事な書類と、当座のお金がどこにあるか。片方だけが知っている引き出しは、意外と多いものです。
どれも、恐ろしい想像ではありません。
普段の暮らしの、置き場所と段取りの確認です。
言い方も、少しだけ軽くしておけます。
「もしものときどうする」ではなく、「これ、私が知らないだけかもしれないから聞いておきたいんだけど」。
前置きが 1 つあるだけで、相手は身構えずに答えられます。
時間帯も選べます。夜遅くの台所より、休みの日の明るいうちのほうが、この話には向いています。
そして、この確認をしている間、二人はずっと同じ前提の上に立っています。
「これから先も、自分たちは二人でいる」という前提です。
備えの話が温かくなるのは、その前提が言葉にしなくても共有されているからだと、私たちは思っています。
一度で全部を決めなくてかまいません。
今日は落ち合う場所だけ。次の休みに、書類の場所だけ。
そうやって少しずつ置いていくほうが、この話には合っています。
一気に片づけようとすると、たいてい途中で疲れて、また来年に持ち越されます。

備えの話をした夜に、何が残るのか
この話には、よくある引っかかりがあります。
1 つは、片方が熱心になりすぎて、もう片方が置いていかれることです。
リストを作り、期限を決め、まだ足りないと数え上げる。相手はうなずきながら、少しずつ黙っていきます。
備えは、進んでいるほど安心する種類の話ではありません。数え上げれば、足りないものはいつでも出てきます。
もう 1 つは、相手の答えが自分と違ったときに、その場で正そうとすることです。
「まず実家に連絡する」と言われて、「いや、先に二人で合流したほうがいい」と返してしまう。そこで話は終わります。
違いは、直す対象ではありません。
その人が何を先に守ろうとするかが見えた、というだけのことです。
親を真っ先に思い浮かべる人と、隣にいる人を思い浮かべる人がいます。
どちらが正しいという話ではなく、二人がそれを知っているかどうかだけが、あとで効いてきます。
だから、その夜のゴールは決着ではなく、お互いの優先順位を一度聞くことに置くと、話は続きます。
聞いたことは、できれば形に残しておきたいところです。
その場では覚えていても、半年もすれば、話したこと自体があいまいになります。
決めたわけではなく、こう思っているらしい、という程度でかまいません。二人で見返せるところに置いてあるだけで、次の話は途中から始められます。
そして、備えの話をしたあとに残るのは、実は備蓄のリストではありません。
残るのは、「この人は、これからも自分と一緒にいるつもりでいる」という静かな確認です。
翌朝、水の箱はまだ棚の奥にあります。
暮らしは何も変わっていません。
それでも、昨日までとひとつだけ違うことがあります。
二人が、同じ地図を一度でも一緒に見た、ということです。
まとめ
「もしも」の話が途中で止まるのは、関心が薄いからではなく、口にすることで相手を怖がらせたくないからです。
黙っていることはやさしさから始まりますが、そのぶん、いざというときに判断を一人で背負うのも相手になります。
重くしないための入り口は、最悪の想定ではなく、落ち合う場所・家族への連絡・大事なものの置き場所という、暮らしの確認です。
相手の答えが自分と違っても、直さなくてかまいません。何を先に守りたい人なのかが、そこに出ています。
備えの話のあとに残るのは、リストではなく、これからも二人でいるつもりでいるという静かな確認のほうです。
